高野山参詣の旅  ( 2006年 )

                                     < その1 >

 

                      今回も2年前と同じく、和の個展が終わってすぐ、高野山行きを決めた。
                      2004年は10月6〜7日。今年は5〜6日である。荒れ模様の天気が予測
                      されたが、5日は細い雨で6日はのち曇り、歩きには汗なしで幸いであった。

                      特筆すべきは、本覚院の尊師と初めて直接の対話ができたことである。
                      92歳と6ヶ月の高齢とは見えず、人徳に溢れた仏様に会った気分である。
                      前日、金剛峰寺で和がお話をお聞きした尼僧さんは、高野山で一番の方
                      であると激賞されていたという。本覚院が素晴しいとも…。

                      これまでに、高野山の写真はあれこれ摂っている。今回は、曇り空であり
                      これといった被写体も見出せず、摂り損ないもあったので…残念!

                   

 

10月5日午後4時、本覚院に到着。
リュックを預けて金剛峰寺へ向う。
一番奥まった所に新別殿があり、
茶菓の接待やお坊様との対話も。
廊下から蟠龍庭(我国最大の石庭)
が見える。これまで摂っていない
所を選んでみた。
上と同じ蟠龍庭で、珍しい石を見つけた。
この石庭は毎年摂っているが、
いつ見ても素晴しい…。
今回は、紅葉の幹が白く苔むして
いたのでパチリ!
(写真を小さくしているので分かり
にくい)
金剛峰寺から伽藍への道(蛇原みち)。
毎年通り抜けているが、静寂そのもの。
根本大塔にお参りした後、彼方に
見える三鈷の松をパチリ!
弘法大師が中国から帰国の際、
三鈷を投げ、ここに道場を建てる
ことにしたという。
松の葉が普通は二本だが、ここは
三本ある。和は今年も拾い集めた。
805年に大師が創建したが前後三回焼失
現在の建物は昭和11年に再現したもの。
高さ50m四面は30m。本尊は大日如来
である。壁画は堂本印象画伯の筆である
    写真は御影堂(弘法大師が住まわれていたと云われ、大師の御影が安置されて
いる)の前から摂ったもの。いつもと反対
側から摂ってみた。御影堂の銅鐸が…。
5時を過ぎて辺りが暗くなってきた。
すべての燈籠に灯が点いていた。
この東塔は、天保14年(1843年)に
焼失したが、弘法大師御入定1150年
御遠忌記念事業の一つとして、昭和 
59年に再建された。